苦しみ
この世界には多くの苦しみがある。
衆生は皆苦しみの輪廻に在る。
それらの生起原因を観るに、執着こそがその根本原因であると私は解く。
不快という苦しみの生起原因とは何か。
快楽を求める心である、と私は観る。
絶望という苦しみの生起原因とは何か。
希望を求める心である、と私は観る。
死という苦しみの生起原因とは何か。
生まれてきたことである、と私は観る。
快楽を求めるが故に、諸々の人間は不快を得る。
快楽を求めぬ者には、もはや不快など存在し得ない。
希望を求めるが故に、諸々の人間は絶望を得る。
希望を求めぬ者には、もはや絶望など存在し得ない。
生まれてきたが故に、諸々の生物は死に至る。
生まれなかった者には、もはや死など訪れることはない。
この様に事柄を観たならば、諸々の苦しみは諸々を求める心によって生じていることが観える。
多くを希求する心こそ執着である。
執着とは渇きに似ている。
喉の渇きに苦しむ者が水を求めるように、人間は自らの欠落ばかりを見て穴を埋めようと埋めるものを求める。
足るを知らず、穴を埋めることに執心し、故に求める。
だが、あらゆるものは変動し、移り変わり、一定ではない。
雲が流れ、形を変え続けるように。
同じ日が一日として無いように。
全ては変化し続ける。
この様に事柄を観て、諸々に対する執着は決して満たされることなどないのだと知るならば、努めて執着を取り除かなくてはならない。
快楽に執着し求め続けたところで常に快楽に耽ることは出来ず、故に快楽がない時に不快に囚われる。
希望に執着し求め続けたところで常に希望通りになることはなく、故に希望が叶わぬことに絶望する。
生きることに執心し求め続けたところで生き続けることは出来ず、故に何れ来る死を嘆く。
諸々の執着を取り除いた者は、そうした苦しみに囚われない。
恰も、身に纏わりつく蜘蛛の糸が全て取り除かれた様に、苦しみは消え去る。
或いは、身に纏う華美な装飾を取り外して身軽になるようなものである。
この様に事柄を観て、諸々の執着を取り除くことこそが苦しみの生起原因を取り除く専心である、と私は観る。
諸々の執着で身近なものでは以下のものが挙げられる。
自尊心と渇愛、常識、快楽、所有物、資産、他人、それらと諸々の肉体に伴う欲求である。
これらを慎み、一時的に持つことはあってもそれを所有することなく、自然に身を任せることこそ肝要である、と私は観る。