2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
あらゆる作為的な事象について思惟を巡らせ、私はこの様に事柄を観た。 心によってあらゆる事柄は生起原因を持つ。 心に依らずして生じた事柄は存在しない。 言葉によってあらゆる事柄は形成される。 言葉に依らずして形成された事柄は存在しない。 肉体によ…
あらゆる一切の現象、観念、事物を観よ。 あらゆる移り変わりを観て、人間はそこに神なるものを見るのだろう。 しかし、神は此処にいる、というものではなく、また其処にいる、というものではない。 そもそも、人間のいうところの神というような存在は実存の…
私は価値を問う。 私は意味を問う。 あらゆる一切において、生得的な価値、或いは意味を有するものが、果たして存在しうるだろうか。 世において、人間は諸々の事柄に価値と意味とを説いてきた。 命や生存、欲求等の様々な事柄の意味と価値は勿論、世俗にお…
罪とは何か。 罰とは何か。 広く世に善悪の区別あり、伴い法がある。 多くの衆生、属する集団、組織、国は異なれど、等しく法はあり、伴い罪を定め、伴い罰を定めた。 それらは集団生活を維持し、秩序を定める為である。 秩序なき集団は烏合の衆であり、皆異…
この世界には多くの苦しみがある。 衆生は皆苦しみの輪廻に在る。 それらの生起原因を観るに、執着こそがその根本原因であると私は解く。 不快という苦しみの生起原因とは何か。 快楽を求める心である、と私は観る。 絶望という苦しみの生起原因とは何か。 …
因果応報という観念を観るに、原因に応じた結果が生じるという意味に観える。これは全く自然なる順序によって生じるものである。だが、これをより詳しく観るならば、厳密にはそうではないと観ることとなる。ある結果には必ずそれを生じさせた原因がある。こ…
他者の中に自らを観るように。自らの中に他者を観る。自らの他者への立ち居振舞いに、他者から自らへとされる立ち居振舞いを観る。自らの行いを、他者を通して省みる。おおよそ、自らの行いを客観視することは難しい。無意味な行いを意図して行う人間がいな…
何かを持つという事は苦しみの縁起である。 それは自ら手に入れる、ということだけでなく、他者から受け取ることもまた同様である。 これは正確には、所有する、ということである。 何かを所有したならば、人間はそれに失わないようにと執着し、それを損なう…